2008年2月16日土曜日

Sirtuin

 最近注目を浴びている分子の一つにsirtuinというタンパク質がある。ヒストン脱アセチル化酵素(histone deacetylase: HDAC)と呼ばれる一群の分子の中で、細胞内酸化還元反応の補酵素であるNAD(nicotinamide adenine dinucleotide)を利用して脱アセチル化反応を行う(他のHDACsはZnを利用する)という特徴を持つ分子である。この酵素活性の本体は、ワシントン大学に在籍する(2007年時点)今井眞一郎博士らのグループが発見し、2000年にNature誌に発表した。シンプルかつエレガントな実験で、大変美しい論文であるという印象を受けた。この論文以降、関連する論文が急増し、現在では老化や最近話題のメタボリックシンドロームに関連する重要分子であることが明らかになりつつある。

 生物の設計図である遺伝子が書き込まれた、全長2メートルの極細分子であるDNAは、そのままでは直径数ミクロンしかない細胞核の中に納まりきれないため、極めて高度かつ精密に折りたたまれた構造で核内に存在している。これをクロマチン構造と呼んでいる。ところが折りたたんでしまうと、今度はDNAからRNAを合成する(転写と呼ぶ)ときにいろいろと不都合が出る。そこで必要なDNA領域だけ、折りたたんだ構造を「緩めて」あげて、そこから転写を行うといった、「クロマチン制御による転写調節機構」がきわめて重要であることが、最近急速にわかってきた。ヒストンはこのDNAを巻きつける「リール」のような分子で、端っこから飛び出た「シッポ」(本当にhistone tailと呼ばれている)に、ユビキチンやスモ(sumo)などの小タンパク質、あるいはリン酸基やメチル基やアセチル基などの小さい修飾基が結合したり外れたりすることで、DNAを緩めたり巻きつけたりすることが可能になっていると考えられている。HDACはこの「シッポ」についたアセチル基を外して、緩んだDNAを再び巻きつけるときに大事だと考えられている酵素である。

 ところが、sirtuinはヒストンだけではなく、転写するときに直接DNAに結合して機能する「転写因子」の脱アセチル化にも関与していることが明らかになってきた。例えば癌抑制遺伝子として有名なp53、脂肪細胞の分化に重要なPPARγ、老化や代謝調節の中心因子の一つFOXOなどである。これら転写因子の脱アセチル化反応により、様々な下流の遺伝子の発現を調節することで、sirtuinは多彩な生命現象に関与しているようだ。

 補酵素として働くNADも面白い。NADの合成はアミノ酸の一つであるトリプトファンとビタミンB3(ニコチンアミドとニコチン酸)である。この合成経路は膵β細胞(インスリンを分泌する細胞)や神経細胞にはなく、これらの細胞ではNADの供給を外部に頼っているため、今井博士らは、老化に伴って生じる耐糖能異常や痴呆などはこのNADの合成・供給系の老化に伴う破綻が主たる原因ではないか、という興味深い仮説を提唱している。

 もともとNADという分子は細胞内酸化還元反応の電子輸送担体のひとつとして知られており、またコレラ毒素やジフテリア毒素が三量体型Gタンパク質のGsαや翻訳複合体の一つEF2をADPリボシル化して不活化する際のADPリボース供与体でもある。古くから生化学的によく知られたNADという小さな分子がsirtuinというタンパク質を介して生体の寿命まで決めかねない、というなかなかに壮大な話は、まさにこれから佳境を迎えそうな気配である。



参考文献
ストライヤー 生化学(第四版)
新たなパラダイムによる老化とメタボリズム制御の理解.実験医学 vol25, 2007年8月号特集
今井眞一郎.哺乳類サーチュイン:NAD、代謝、老化を結ぶ普遍的制御因子.実験医学増刊 vol25「解明が進むメタボリックシンドローム」 p87(2317)-, 2007
Imai S., et al. Nature vol403 p795-, 2000

●本文章中に掲載される内容には万全を期しておりますが、その内容及び情報の正確性、完全性、適時性について、著者本人は保証を行なっておらず、また、いかなる責任を持つものでもありません。転載に当たっては原著をご確認されることをお勧めします。

0 件のコメント: