2008年2月10日日曜日

2つのロジックと,そのむこう

 先日、私が所属する研究機関に、二人の高名な研究者がセミナーにおいでになり、セミナー後の酒席にご一緒する機会を得た。お一人はシステムズバイオロジーのトップランナーとして知られ、私個人も以前から親交があった方だ。もうお一人は、タンパク質相互作用の大規模解析で知られるカリスマ的な研究者である。

 サイエンスの現場で使われる思考法は論理的思考(ロジカルシンキング)をベースにする。生物学で主に使われる思考は言語的論理思考であり、多くの生物学者はその枠で思考を回している。一方で、今回のセミナーを聞いて感じたことは、生物学に数学的論理思考を持ち込む余地が現在どんどんと拡張してきているということである。数理生物学や生物物理といった、生物学の中でもやや特殊な(といったら怒られそうだが)分野では、数学的論理思考が古くから用いられてきた。しかし、近年コンピューターが高機能化し、システムズバイオロジーのフィールドがどんどん身近になってきたことから、これからの生物学者には数学的論理思考を行う能力が間違いなく求められてくるようになるだろう。また新しいコンセプトは数学的論理思考からその多くが生まれてくるようになるだろう。両方をすでに使いこなしている前者の彼は、そのレベルの高さもあいまって、大変強力な「思考力」を備えた研究者だと思う。

 しかし、ロジックはロジックである。ロジックの「むこうがわ」があると思う。言語化が難しい「思い」や「アイデア」の類である。先日読んだある本では、筆者が「文章では自分の考えを述べ尽くすことは難しい」と書いていた。

 私個人は、例えば絵の感想など描写的な文章は別として、このブログのような論理的思考の産物では、言いたいことを書ききれていないというフラストレーションに苛まれることはあまりない。しかしこれは、ある意味とても危険なことかもしれない。言語化できる範囲でのみ、思考が回っていることになるからだ。論理的思考のツールとしての言語は、必要不可欠な要素ではあるものの、思考を「論理的思考」という枠に制限する危険性もはらんでいる。酒席において、先生のお一人に指摘されたのはそういうことである。ロジックの域を超えきれずにいる。

 論理的思考は、右から左、もしくは前から後ろというように、順序立てて行う思考である。しかしその「むこうがわ」にあるものは、直感とか発想とかひらめきとかいった類のもの(こうやって言葉を当てはめることが危険なのだが)である。この間にはとても大きな谷があるように感じる。どうやって超えようか。

 面白かったのは、クリエイティブな思考は夜のほうが向いているということについて、意見が一致したことだ。先生のお一人は完全な夜型だし、もうお一人は寝ながら考え事をするということをおっしゃっていた。まさに古代中国で言われていたように「馬上、枕上、厠上」が最適な発想の場なのだ。

 しかしそのためには、「皮膚感覚に刷り込まれるまで徹底的に考え込む」ことが必要とおっしゃっていた。それがベースにあって、あるとき、アイデアが「湧きあがってくる」のだそうだ。準備があってこそ「むこうがわ」に辿り着けるということだろう。

 「むこうがわ」からアイデアをロジックに落とし込める人こそが、真の「科学者」だと思う。まずは、ひたすら考えることから始めたい。

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