2008年2月23日土曜日

ナゾの酵素、ついに発見か!?

 メシを食べなければお腹は空くし、食べたら食べたでお腹いっぱい。当たり前のことのように思えるが、われわれの体はこの空腹感・満腹感を感じるために実に巧妙な仕掛けを構築している。この仕掛けが壊れて、いくら食べても空腹感を覚えないという病気もある。

 このメカニズムの根幹を成すのは、例えば摂食に伴って分泌されるインスリンやレプチンといったホルモンである。これらのホルモンは脳の視床下部に存在する摂食中枢に作用し、満腹感を覚えるような神経細胞を活性化させる。

 逆に空腹時に胃(胃粘膜のA-like cell)から分泌されるのが、グレリンというホルモンである。GHS受容体(growth hormone secretagogue receptor)というGタンパク結合型受容体(GPCR)に結合し、下垂体からの成長ホルモン分泌を促進して摂食亢進作用を示す。マウスなどの動物にこのホルモンを投与し続けると、餌をどんどん食べて最後には肥満になってしまう。

 このホルモンは現在久留米大学に在籍する児島将康教授らが発見し、1999年にNature誌に報告した。全長28アミノ酸からなり、胃に大量に存在するペプチドで、3番目のセリン残基がn-オクタン酸によって修飾されるという特異な構造を持つ。これは実に不思議な構造である。しかもこの修飾が受容体への結合、つまりグレリンの生理活性にかなり重要であることもわかっている。

 脂質修飾(acylation)といえば、教科書的にはイソプレン基を持つ脂質(C15のファルネシル基、C20のゲラニルゲラニル基)やミリスチン酸(C14、N末に結合で安定)・パルミチン酸(C16、システインに結合)になどの飽和脂肪酸、またコレステロールやGPIアンカーなど、大きな構造を持つ脂質が主である。これまでにグレリンのような「ペプチドと脂質が合体したような構造」を持つペプチドは報告がなく、どんな酵素がその反応を担っているのか、児島教授らをはじめとした研究者達が長年追っていたようだ。

 そして今年に入って、ついにその酵素が同定されたという論文がCell誌に報告された。この論文の著者らは、近年になって同定された膜結合型O-アシル化転移酵素(Membrane Bound O-Acyltransferases, MBOATs)のファミリーに着目した。このファミリーの発見は、もともと発生や癌に関与する超重要シグナル、Wntの長鎖脂肪酸修飾酵素として同定されたPorcupineの発見が引き金となっている。著者らはデータベース上からMBOATファミリーの構造的特長を持つタンパク質を解析してピックアップした。その結果得られた16個の候補分子の中から、実際にグレリンにn-オクタン酸を結合できる酵素を同定してGOAT(Ghrelin O-Acyltransferase)と命名した。

 このような手法は、近年ゲノムプロジェクトをはじめとした生物学的データベースが急速に充実して可能になった方法である。一昔前までは、大量の胃を集めてすりつぶして、そこから抽出したタンパク質を何本ものカラムで分画しながら活性を追っていくという、非常に「泥臭い」仕事が生化学の王道であった(もちろん、今でもそういう方法が有効なケースは沢山ある)。しかし今ではちょっと頭をひねるだけで、膨大な労力と時間を費やすことを余儀なくされるカラムワークを回避し、一足飛びに“モノ”にアプローチできる。iPS細胞で話題を集める、京都大学の山中教授も、ES細胞特異的に発現する遺伝子を同様にデータベースサーチでピックアップし、実際にそのうち4つの遺伝子を組み合わせて体細胞に発現させることで、万能性をもつiPS細胞を作製することに成功した。初めて話を聞いたときには、なんてエレガントで秀逸なアプローチなんだと、大きな感銘を受けた。

 話をグレリンに戻すが、なぜこのアシル化酵素が重要なのだろうか。生物学的に非常に特異な反応を行う酵素であるという、純学問的な理由も大きい。同時に、応用面を考えれば、この酵素の阻害剤を作ることでとても優秀な「食欲を抑える薬」ができると期待される。なぜなら、グレリンの生理活性にこの修飾がとても重要で、阻害剤でアシル化を起きないようにすると、いくら空腹時にグレリンが分泌されても脳にその信号が伝わらないからである。また、他にこういう修飾を受ける分子がない(少なくとも現時点では知られていない)ので、副作用の心配も少ない。食べすぎで困っている人たちには朗報になるかもしれない。あくまでも現時点では「かもしれない」であるが。

 今後ノックアウトマウスの作製などを通じて、本当に生体内でこの酵素が効いているのか検証する必要もあり、まだ糸口をつかんだ段階である。「不活性型」とされる非修飾型のグレリンのほうが量的にはかなり多いなど、疑問点も多い。しかし個人的には、この「ナゾ」の酵素をとてもエレガントな方法で同定した論文の著者らに、素直に賞賛を送りたい。


参考文献
ヴォート 生化学
Yang, J., et al. Cell 132: p387-, 2008
Kojima, M., et al. Nature 402: p656-, 1999
Hosoda, H., et al. BBRC 279: 909-, 2000
児島将康 私の発見体験記「本当かな、この構造は?」 実験医学 25: 3042-, 2007年12月号

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