2010年3月15日月曜日

科学とアートの境界線

science book cafe 2009
先端バイオロジーが加速する、科学とアートのゆくえ

より、一部引用

いま、遺伝子工学、再生医療、マイクロマシンといった先端科学技術は、「人間が人工的に細胞(生命の基本単位)をつくりだす」ところまできている。岩崎秀雄氏は、そこで使われる技術やバイオ素材を使い、独自の切り絵の世界と組み合わせた、かつてない芸術表現を追究するアーティストだ。岩崎氏はアーティストであると同時に、科学者でもある。いや、科学が本業といってもいい。早稲田大学で生物リズムを研究し、日本の若手研究者による学会「細胞を創る研究会」を率先する。科学にとってアートは、アートにとって科学は、どのように存在し、どこへ向かうのか?科学とアートの境界面に立つ岩崎氏に、デザインジャーナリストの藤崎圭一郎氏が聞いた。
2009年8月29日開催の青山ブックセンターでのトークイベント「先端バイオロジーが加速する、科学とアートのゆくえ」をもとに構成。
(中略)

藤崎 ── どこまで科学技術がやれば、人間が生命をつくった、と言い切れるのですか?

岩崎 ── 私は「細胞を創る研究会」の発起人の1人で、その問いには非常に興味をもっています。研究者にとっても難しい問いです。藤崎さんはどう思いますか?

藤崎 ── 増殖して構成成分を見ただけでは考えられないような性質が備わったら、細胞、つまり生命ができた、というイメージです。

岩崎 ── 私もいつもバクテリアを見ている微生物屋なので、「増殖=細胞=生命」とイメージします。けれども、研究会の発起人の中でも,哺乳類の脳の生物時計の研究者(理化学研究所 上田泰己博士)がいて、彼は細胞の増殖よりも、細胞同士がネットワークをつくる能力を再構成したいといいます。また、マイクロマシンをつくる研究者(東京大学 竹内昌治准教授)は、とにかく動くものが好きで、動いていないと生き物という感じがしないといいます。
つまり、「私がつくりたい細胞(=生命の基本単位)」のイメージは、研究者ごとにすごく違うのです。状況はロボット研究と似ています。どこまでいったらヒューマノイドをつくったといえるのか、という問題のように。面白いところではありますが。

 (中略)

藤崎 ── 岩崎さんの場合は、細胞をつくる、なんていうものすごいアーティスティックな科学のプロジェクトをやりながら、一方で切り絵をやっていらっしゃる。その使い分けはどうなっているのですか? 科学の仕事とアートの仕事は、ぜんぜん違うのですよね。

岩崎 ── 私は科学とアートの境界面に興味があります。境界面は明確にあるのでなく、たゆたっています。その境界面の上に立って、両サイドをのぞきこみたい。そもそも、科学とアートを対比すること自体がおかしな概念だと思います。アートの表現は、世界全部をのみこんでしまうほど巨大にもなるのですが、サイエンスの研究は、かなり限られた世界です。
科学は「これをやっちゃいけない」という項目が多い。シャープな解をえぐり出すために、彫刻で石から像を切り出すように、余分な部分をどんどん削ぎ落としていく行為です。そのための色々な手続きが制度化されています。だからこそ非常に強いし、多くのことがわかるシステムで、素晴らしい。でも逆にいえば、削ぎ落とされるものが必ずある。アートは科学が削ぎ落とすものを拾い上げることができます。私はサイエンスを相対化するためのエネルギーとして、アートが重要であると思っています。

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ある意味、自分の考える理想的な姿だなあ。科学もアートも、どちらも超のつく一流の人ならではのスタンス。

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