2010年2月25日木曜日

CDBと京大の天才な面々

暫く休止していたが、形を変えて再開。

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4月からCDBに移籍することになった。ちょうどタイムリーな記事が。


<ひと脈々:先端医療の梁山泊> 「再生」の頭脳、神戸・京都に結集

より、引用。

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失われた体の機能の復元を目指す再生医療。新型万能細胞(iPS細胞)を発明した京都大教授の山中伸弥に注目が集まるが、神戸市の理化学研究所や京大再生医科学研究所にも世界をリードする研究者が数多くいる。大胆な改革でつくり出した研究環境が世界の俊英を引き付ける。

★研究者同士は対等


竹市雅俊・理研CDBセンター長
竹市雅俊・理研CDBセンター長
「欧米では当たり前のことだ」。ポートアイランドにある理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)。センター長の竹市雅俊はクールに話す。

CDBは2000年に発足。採用した研究者はCDBでの研究に専念させる。最新の設備をそろえ、必要な予算も与える。日本の大学は序列が今なお存在し、有 能な芽を生かせていない。CDBでは、研究者同士は対等だ。研究室を率いるチームリーダーは年齢や国籍を問わず公募する。

その代わり任 期は最長10年に限った。その間、海外の研究者を含めた外部評価委員から成果を厳しく問われる。自由な雰囲気と環境にあこがれる俊英からの応募が絶えな い。09年に38歳の若さで母校・京大の教授になった斎藤通紀は留学先の英国から大学に戻らず、CDBの門をたたいて飛躍した。斎藤は「設備が整い、よい 研究をしようと高め合う気持ちも強い」と応募した理由を語る。

元京大教授の竹市は生物の体で細胞同士をくっつける接着剤となるたんぱく質を発見し、世界的に有名だ。目の水晶体と網膜が再生する謎を追い求めた発生学のカリスマ、京大名誉教授・岡田節人の弟子。信じた道を究め、他人を後追いしないという気概を師からたたき込まれた。

その竹市を支えるのが、ともに副センター長を務める西川伸一と相沢慎一。それぞれ、京大、熊本大の教授から移ってきた。国の科学技術会議議員だった井村裕 夫(元京大総長)とともにCDB創設の立役者だ。センター長に竹市を据える人事戦略でも活躍した。トップ人事は研究所の格や質を左右する。実績に加え、高 い識見も持つ「竹市でなければ世界に情報が発信できない」というのが共通認識だった。

政府には当初、CDBは再生医療の応用に軸足を置くべきだとの意見が根強くあった。「発生の基本を理解する基礎研究に注力しないと世界に通用する成果は得られない」が竹市の持論。このため最初は断った。

さらに施設を茨城県つくば市と分割する案も浮上、竹市は固辞の姿勢を強める。分割では総合力を発揮できず、世界有数の研究所づくりの支障になると西川らは 焦った。「すべて任せる。世界トップの研究所にしてほしい」と井村を中心に何度も足を運び、竹市を口説き落とした。結局、神戸市などの踏ん張りもあって分 割案は消え、内外から人材が集まる拠点となった。

★若手の発掘にも力

竹市らは若手の発掘にも力を入れる。03年にチームリーダーになった上田泰己は当時27歳。しかも東大の大学院生だった。逸材との評判を聞いてCDBのセミナーに呼び、実力を確認。他の研究機関に先手を打って獲得した。

上田は動物の生体リズムを作り出す「体内時計」の謎に細胞実験とコンピューター解析を駆使して迫る。昨年は気鋭の若手研究者に贈られる日本IBM科学賞も受けた。「開放的な神戸の街は肌に合う。研究も進めやすい」と上田は笑う。

30歳代でグループディレクターになった笹井芳樹も元京大教授。元祖万能細胞のヒト胚(はい)性幹細胞(ES細胞)から脳神経を作る研究などで世界をリードする。兵庫県出身で阪神大震災時は米国にいた。「地元に貢献したい」という気持ちは人一倍強い。

★「世界に先行する」

研究所運営について西川らには京大での成功体験があった。1998年に旗揚げした再生医科学研究所がそれ。95年ころ結核対策を担ってきた胸部疾患研究所 の再編問題が浮上。井村と医学部の本庶佑、菊池晴彦、西川らは「次の30年は再生医科学の時代」と、新たな研究所をつくろうとした。


中辻憲夫・京大物質-細胞統合システム拠点長
中辻憲夫・京大物質-細胞統合システム拠点長
  だが再編過程では不協和音も出た。本庶は医学部長を菊池から引き継ぐ際、「ちゅうちょせず大胆な改革をやるべし」と言われた。笹井は「がれき化した街の市 長になった感じ」だったが「世界に先行するという思いもあった」。この先見の明が山中のiPS細胞発明の呼び水になった。

 再生研はES細胞株を国内で唯一作製した。作ったのは教授として呼ばれた中辻憲夫。98年に米でヒトES細胞株が樹立され「日本でもいち早く作る必要があった。引き受けたのは研究者の使命」と言う。

  京大理学部の出身で欧米で修行し、国立遺伝学研究所(静岡県三島市)の教授になった。再生研から声がかかった時、新しい研究施設を立ち上げたばかり。だが 医学、生物学、工学の融合をうたう再生研の志に共鳴した。ES細胞で培った技術は再生医療でも基礎になる。第2代所長に就任すると異分野融合を強力に推進 した。今は世界トップを目指す「京大物質―細胞統合システム拠点」の拠点長として力を振るう。

 拠点の下には08年、山中率いるiPS細 胞研究センターも発足。4月からはiPS細胞研究所に格上げされる。足の細胞から作ったシートを重症心不全患者の心臓に張り、退院できるまで回復させた大 阪大の澤芳樹も客員教授に就いた。大学の枠を越え、iPS細胞を使った再生医療の実現に執念を燃やす。

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みんなすごいなあ。小さい論文がすんなり通ったからって、浮かれてる場合じゃないね。
頭使わないと。

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